キャリア自律を考える

最近「キャリア」という言葉が盛んに使われるようになりました。

「通信キャリア」「LCC=ローコストキャリア」「キャリア採用」「キャリア教育」「霞が関のキャリア組・キャリア官僚」、「キャリア権」(働く人が、その人生に大きな位置を占める職業生活を通じて自己実現し、幸福を追求する権利)、そして「キャリア自律」などです。
この定義のあいまいなキャリアとキャリア自律を考えることにします。
まずは簡単に、「人材を活用する仕組みの変遷」を振り返ってみましょう。

●1950年代~1960年代には、主にブルーカラーの方々を対象として、「人間は基本的にはなまける性格を持っており、楽を求める労働者をどのように働かせるか」という考え方のもとに「労務管理論」が主流となっていました。

●1960年代~1970年代には、主に生産性の低い、労働意欲に欠けるホワイトカラーの活性化を目的に、どのようなモチベーションを高める手法を編み出すかを志向しました。人間関係について深めていった時代でもあります。このときの理論が「人事管理論」です。

●1970年代~1980年代には、企業にとってポジティブな貢献をしてくれる、もしくはその可能性のある主に管理職の人材に焦点を当てた管理論です。要するに2-6-2の上位半分層を掘り下げベンチマークするものです。経営人事の発想がはじめて出現した時代とも言えます。知識やスキルを中心に構成された仕組みで「人的資源管理論」と呼ばれました。

●1990年代。一人ひとりのユニークな人間性を認めその特性を企業活力にどのようにつなげていくのかというもので、人的資源のさまざまな可能性を組織主導で開発するというものでした。しかし、人的資源管理の時代と同様に、できる人材にフォーカスされ続けており、自己成長や自己動機づけ意欲の高い人中心に設計された仕組みです。「人的資源開発論」

●2000年代。人的資源開発のポイントは残したまま、個人の自律をベースとした組織・人事・育成を展開することが企業の成長に大きく貢献するという志向が出現します。しかし、人的資源の開発の責任はむしろ個人の側にある、と大きく移行しました。「ヒューマンキャピタル論」の登場です。

企業内個人の様々な成長の観点が、昔は組織目的のための組織管理下にあったものが、「ヒューマンキャピタル論」では、個人のキャリア開発の責任は個人にある、と転換したことは非常に画期的なことではないでしょうか。

素朴な疑問がわいてきます。
個人のキャリア自律は、当然、組織の成長の方向性と調整・統合される目的のものですが、はたして組織が管理できない個人の責任領域で成立するのか、という疑問であり、そのような世界では、あえて企業が個人のキャリア自律に投資(人・お金・時間・設備)する価値が本当にあるのだろうか、という疑問です。

リストラ計画があるからそのための準備としてキャリア自律プログラムを導入しよう、定年後の雇用と処遇が保障できないからそのためにキャリア自律プログラムを導入しよう、という理論はわかります。企業の責任の延長にあるプログラムだからです。

本質的な問いはそんなところにはありません。
個人の自律が企業の成長に大きく貢献するのでしょうか。
その個人の自律とは、昔の企業管理下のできる個人とは違うのでしょうか。
違うとすれば、企業の成長に貢献するキャリア自律とはいったどのようなものなのでしょうか。

私は、この点をしっかり踏まえなければならないと考えます。

これらについて、明確な論拠を示している有識者は稀有です。
時代の流れから言ってこうなるだろう。理想的にはこうだろう、という域から抜け出ていないと思われる論が大半です。
また、多くの企業では、そのような流れの中でキャリア自律支援プログラムを改定しようとはしていますが、革新しようとしているところはほとんどない状況です。

新興企業や独特な経営をしている企業などで、ごくまれに、個人の力を前面に出した制度の展開をしており順調な成長を遂げている企業があります。
しかし、従来型の人事制度の変遷を歩んできた企業(多くは大手企業)からみれば、そのような独特な企業は、ベンチマークの対象となりえていません。

変化こそ常態であり、今の変化は未来からの変化であり、未来に向けた現状の革新は事例の少ない宿命を背負っており、しかしながら安易な革新への取り掛かりは成果主義を先取りして失敗した大手企業のようによろしくなく熟慮も必要である、という前提に立って考えてみましょう。

改善レベルではいいのですが、革新となれば話は別です。

革新とは、主権者の移行を示します。
企業の成長は、企業の都合により、企業の責任で、人材の活用を図ることによって行われる。
よって、人材の活用の責任は企業にある。
という論から、
企業の成長は、企業の都合よりも、個人の自律を前提としなければ始まらず、その上でキャリア自律のプロセスとキャリア自律人材の活用方法によってなされる。企業の責任は活用方法にあり、キャリア自律の責任は企業に非ず個人にある。

という論への移行の検証をしてみようということです。

私の敬愛する花田光世先生は、すでにその未来の胎動は現在引き起こっていて、今後の日本の人事制度・人事管理の在り方は、遅くとも2020年までには変わっているだろうと予見しております。

私は、おそらく一昔前に言われた「WEB2.0革命」とその様相は同じように推移していくのではないかと考えています。
「WEB2.0革命」も、生産者から消費者への主権者の移行がその本質です。
しかし、実感値として我々はそのことを体感しているでしょうか。
その本質を理解している経営者は間違いなく、みんなが見えない新しい世界の中で勝利をおさめています。
このように、革命や革新の本質は、みれる人しかその姿は捉えられず、水面下で徐々にではあるが変容を遂げながら、気が付けばそうであったか、という理の変化・変容を経過していくに違いないと、わたしは確信しています。

2013.07.01

黒川 賢一

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