笑顔をプロデュースする会社Key-Works 代表
とある街の郊外に、自分のキャリアを気軽に相談できるカフェのようなお店がある。古民家を少しばかりリノベーションした、山奥の丸太小屋のようなお店。
玄関先には、ピンク色のかわいい花が咲いていて、玄関のドアを開けると、昭和の喫茶店にあったようなカランコロンという優しい呼び鈴が響きわたる。ドアの先は、山荘のようにオープンスペースになっていて、木のにおいが広がり、様々な色や形をしたソファーや椅子がおいてある。えも言われぬ「やさしい空間」。そこには、若い女性もいれば、スーツを着た中年の男性もいる。
今では、キャリアアドバイザーも個人で気軽にスマホアプリから予約ができるようになった。
人の問題は、結局人にしか解決できない。人と話すことで、見えていなかった自分を気づくことができる。人と話すことで、元気が湧いてくる。ネットなどで相談することもできるが、やはり人と逢う価値は計り知れない。
「人をたより、自分をたよる。」気軽に人に頼ることができ、気軽に人を手助けできる社会。
これが45歳の私の夢・・・。
この私の夢は、2002年に黒川さんと一緒に働きはじめた時に、出会った英国にあるワーキングリンクス社という半官半民でつくられた就職支援会社の影響が大きい。
当時の日本はITバブルがはじけ、失業率5%に近づきそうな時代だった。仕事探しで求職者が1時間以上も順番待ちをしていたハローワーク。公共機関だけでは乗り切れないほどの、失業者の課題は根深い問題だった。
黒川さんと共に、全国33万社の人材ニーズを調べ、企業が何を求めるか、なにが雇用・就業のミスマッチになっているかを真剣に探り、あらたな就業支援の公共施設を創ろう(るべき)と始めたのが、ジョブカフェだった。
試行錯誤しつつも結論づけたことは、公的資金からの脱却。持続的可能な民間主導の社会システムだった。それが「就職Shop」。開設して早10年。現在も、リクルートが全国8拠点で展開している。とはいえ、これは若者支援で成し遂げた世界。
「中高年が元気になれば日本は元気になる!」中高年の仲間入りをした自分にとって、黒川さんが言われたこの言葉を今、痛感している。私の家族や、仕事仲間、友人を笑顔にすることも悲しい顔にすることも、私の笑顔(元気)次第。
私は、40歳の時、会社を辞め、「世界の笑顔、日本の笑顔、地域の笑顔、仲間の笑顔、家族の笑顔、そして、自分の笑顔づくり」のために独立した。会社を辞める、起業するなど、大きなキャリアチェンジの時に、今一番必要だったのが、正直に話をできる相手を持つことだった。
日本の社会のためにも中年のキャリア危機のために「相談に乗ってくれる人づくり」が急がれる。そのために黒さんは今、企業の中から本物のキャリアアドバイザーを育成するために奔走している。その姿は、10年前と変わらず、世のため人のため、太陽の様に燃焼し続けている。
黒さんが1万人いれば、日本は元気になるのだろう。と確信している。黒さんがうみだすキャリアアドバイザーたちが、その役割を担えばさらなる可能性が拡がる。そして、隣人に気軽に相談しあえる世界を創り出せれば、たくさんの笑顔がうみだせる。
2016年1月1日
木島 英治 45歳