山口大学 経済学部 教授
1989年慶應義塾大学大学院社会学研究科修士課程修了。同年株式会社リクルートへ入社。組織活性化研究所、
ワークデザイン研究室、組織人事コンサルティング室、ワークス研究所などを経て
2004年神戸大学大学院経営学研究科助教授。2006年4月より山口大学経済学部准教授。2008年より現職。
主な著書:『日本企業の知的資本マネジメント』(中央経済社)。
リクルート時代の私の「型破り」な先輩、黒川さんが独立して中高年向けのキャリアのあり方を考え、より良いサービスを提供する会社K’s laboを設立されるという。これからの日本にとって、この大変重要な問題に向けての黒川さんらしい観点からの提案と実行はまさに時宜を得たものとなるでしょう。
中高年のキャリア、ひいては日本企業の人事制度のあり方については今日多様な議論がなされており、政府の産業競争力会議の中でも正社員の解雇規制を弱めることが議論されていることは周知の事実です。そしてこれらの中には煽動的ではあるが軽佻浮薄な議論も数多く見かけられます。是非とも多様な観点と深い洞察と人間愛に満ちた、大胆な提案を日本社会にして頂きたいと考えております。今後のご活躍を大変期待しております。
そこで本稿ではK’s laboへの私の期待の表明ということも含め、中高年向けのキャリアの今後を考える上で私が必要と考える3つの視点のうち、最も重要と考える「日本企業の競争力からの視点」をご紹介させていただきたいと思います。なお他の2つの視点とは「個人の価値観の多様化の視点」、そして「地方の活性化の視点」です。
中高年のキャリアにおける日本企業の競争力の視点は、この20年ぐらいで発展した戦略的人的資源管理論-人的資源管理(HRM)と企業の業績や持続的競争優位などとの関係についての議論が土台にあります。
1980年代半ばから2000年頃まで、アメリカを中心に戦略的人的資源管理の研究者の中で次の3つのうちどれが最も企業業績などを高めるのか、という論争が起きました。第1は戦略をまず策定しそれに適合的なHRM施策を導入すること、第2は戦略を策定しそれに適合的な体系として一貫したHRM施策をシステムとして導入すること、第3は戦略とは関係なく雇用保障、広範な社員教育、自己管理チームの編成と権限分散、情報開示など従業員のコミットメントを最大限引き出すようなHRM施策を行うことです。多くの実証研究がなされた結果、圧倒的に第3のものが企業業績などに貢献していることが明らかになりました。これは高度参加型労働施策(high-commitment work practices;以下HCWP) などと言われているものです。
もうお気づきと思いますが、この3番目のHCWPは日本企業の人事のあり方と大変類似しています。そしてなぜこうなるのかという研究が現在も進められています。その中の一つで私が関心を持っている一連の研究を簡単に紹介します。オスターマンは1994年の論文で高度参加型のHR施策を導入するのは、50人以上のアメリカ企業において約35%であり、その特徴としては国際競争にさらされており、先進の技術を導入し、品質・サービスおよびコストを共に追求する競争戦略を有し、革新的な労働組織を採用しているところであることを報告しています。ウッドは1999年に発表した論文で、過去の多くの研究を精査し、高度参加型のHRM―彼はHigh Involvement Management(HIM)と呼んでいる―はトータル・クオリティー・マネジメント(TQM)と共に採用することで業績が良くなる、としました。またボクサルとパーセルの2000年の論文ではアメリカにおいては、高度参加型の施策が品質およびサービスで競争する産業部門でより普及しており、複雑な工場など先進的技術を活用したりプロフェッショナル・サービスのようなクライアントとの高度な技能によるやりとりするところで実行可能であること、そしてこうした条件に合致しない産業部門では必要な労働者を関連する労働市場から獲得するというものを採用している、と結論づけています。
このことは資源ベースの戦略論やダイナミック・ケイパビリティ論という企業内部の資源やケイパビリティ(競争能力)こそが競争優位や持続的競争優位の源泉であるという考え方に照らして解釈されています。つまり日本型人的資源管理の方法と類似したHCWPは雇用を保障し、コミットメントを高め、企業内の様々なところで試行錯誤型の学習を積み重ねることで、競合企業にはないその企業独自の技術や組織運営ノウハウなどを開発・蓄積し、それらをいろいろ組み合わせて常に他社では模倣しづらい高度な品質の製品やサービスを開発し続けることができる、というものです。私自身の研究でも日本企業の終身雇用や独自の異動システムの重要性が検証されています。
近年大手企業の人事担当の役員の方や人事部長クラスの方々と話をさせて頂くと、時々「これからはプロフェッショナルな人の時代だ」「人材もより流動的にし、企業と働く人のお互いがwin & winの関係になるように」などというお話を聞きます。しかしこのことを本当に追及すると、大半の日本企業は自ら競争力の源泉を破棄してしまうことを意味するからです。さらに近年アジアなど他国の競合企業が日本メーカーの高度な技術を得るために高額な報酬で技術者を引き抜いています。さらには公正でない方法を用いていることが発覚し、裁判になったりしています。つまり競争力を維持するために営業秘密の保持も大変に重要となります。日本の巨大な財政赤字を考えた時、こうした競争力の棄損は日本の将来にとって大変大きな問題となります。企業は本当に何をすべきか、日本企業の競争力の源泉としてのキャリア・システムという観点からより深い議論がなされることが必要でしょう。
このように中高年のキャリアを考えた時、「これからの時代は個の時代だ」「これからは組織よりネットワークだ」「国際化の時代には柔軟な組織が必要」などといった通常何の気なしに受け入れてしまう考えに対して、一度立ち止まり、深い洞察を加え、地に足のついた議論を行っていくことが必要だと考えています。
このことを先導する役割こそK’s laboに求められるものでしょう。これからの黒川さんの活動に大いに期待するところです。
2013年6月25日
内田 恭彦