言葉と図解だけでは伝えきれない想いある場に、第三のコミュニケーションツール「絵巻物」を
リアルタイムに描いていくことで、多様な価値観の人たちの未来行動変容をご支援。
グラフィックファシリテーション導入実績:上場企業や官公庁など500超。
未来へ向かってみんなの想い「ひとつになあれ」株式会社ユニファイナアレ 代表
https://www.graphic-facilitation.jp/
ありたい姿から語ってもキレイゴトは絵空事。ポジの前にネガ。みんなで腹を割って
本音で本気で語り合い、本当に進みたいビジョンを語り合っていく場をつくっています。
グラフィックファシリテーター(R)として私が黒川さんを描くとしたら、黒川さんの「熱いハート」の背景に「ナミダ」が描けます。それは、キャリア自律を迫られている人のナミダ。もしくは黒川さん自身のナミダ。黒川さんがあんなにも「熱い」のは、その人の生き方や人生と切っても切れないキャリアの「痛み」を知っているからだと思います。
いくら言葉だけ「やっていきましょう」とか「使命だ」とポジティブに語られても「ハート」は描けません。なんとかしたい相手やもしくは自分自身の「痛み」「ナミダ」を感じ取らない限り「何が何でも、なんとかしたい」という熱いハートは描けません。このハートを圧倒的当事者意識というのかもしれませんが、とにかくハートの前にナミダ。ポジの前にネガ。ネガと向き合って生み出される熱い想いです。
そんな黒川さんのナミダとハートの在り方は「自分はこれからどんなキャリアを歩んでいこうか」と迷う人達にも、とても参考になると思います。
グラフィックファシリテーター(R)として私が「キャリア」の議論でいつも描きたいと思っているのは、キャリア支援を必要とする人たちが、どんな一歩を踏み出せる絵なのか。そしてそこにどんな「ハート」が描けるのか。新しい世界にドキドキワクワクしているハートなのか。使命感に燃えているハートなのか。これだけは大事にしたいというハートなのか。
しかし、ここで安易に「ワクワクすることは何ですか?」とポジティブに問うてもハートは描けません。20代・30代なら「○○部署で□□スキルを身につけたい」とか「ベンチャーに転職したい」と希望を語るかもしれませんが、企業で長くキャリアを積んでこられた方々の多くは、答えられないか、どこかで見たことや聞いたことを語ります。それは、自分の内側から見つけたワクワクではありません。
ハートを無視して新しいキャリアを選択することはできるかもしれませんが「自分が本当は何がしたいのか」「どう生きていきたいのか」せっかく向き合えるチャンス。そこで大事なのが「ナミダ」です。
これまでの仕事を振り返って、なんとかしたくてもがいたこと、ほっとけなかったこと、腹が立ったこと、ぶつかったこと、嫌だったこと、意味が無いと思ったこと、理不尽だと思ったこと。そんなナミダが描ける体験の中に、じつは共通して自分はこういうことに「夢中になっていた」とか「得意だった」とか「ほっとけなかった」とか「ずっと大事にしてきた」といったハートが描けてきます。
黒川さんはリクルート時代から、いつも何かに腹を立てていました。そしていつも突拍子もないことを思いついてワクワクしてました。なんとかしたくてモヤモヤしている。そんな「ネガティブな感情」の反転にこそ、本当のポジ・進みたい先が描けてきます。
「キャリア」という言葉には「磨かなければいけない」とか「よく見せなければいけない」といった「ポジティブであらねばならない」イメージがあります。でも、その真逆に、人が抱える「そうは言ってもさ…」という「ネガティブな感情」も大事です。キャリアに対する不安や寂しさ、ダメな自分、恥ずかしい自分と向き合う人に描けるナミダ。
「私は私でしかないんだ」という、ある種の絶望感を受け入れると強いです。それを今流行りの言葉でいうと「自分を肯定する力」と言うのかもしれませんが、「自分はどう生きたいのか」「どんな時間を誰と過ごしたいのか」という問いの答えが見えてきます。
ちなみに、自分を取り繕ったり、良く見せようとしたり、世の中の流れに合わようとしたりすると、黒川さんにはすぐにバレます。「ゆに、そういうことじゃないんだよ」と。渦中に居ると黒川さんの言葉の意味が分かりません。でも、痛い。本当に涙が出るときもあります。後から「ゆにらしさって、そういうことじゃないだろ」「ゆには本当はどうしたいんだ」と問われていたんだと気づかされます。そんなときの黒川さんのハートは「大きな大きな愛」と言い換えたい。
話し合いの現場で「キャリア」という言葉が出てくると、正直、いつも絵筆が迷います。キャリア開発、キャリア面談、キャリアパス、キャリアチェンジ、、、人の話をしているのに「人(表情)」が描けない話が多い。キャリアと人生を切り離して語られる話や、一人一人が抱える葛藤や不安といった「ネガティブな感情」に触れないキャリア議論には「ハート」が描けません。
その話し合いに愛はあるのか。ハートが無くても世の中から求められるスキルや能力の話だけで済む話なら、そもそも私は呼ばれないわけですが、黒川さんが「キャリア自律」を個人任せにするなと熱く語る限り、わたしの違和感も間違ってないと思えるんです。一人一人の「痛み」と共に、熱いハートで未来を描ける世の中に、私も尽力したいです。
2024年9月21日
やまざきゆにこ