神戸大学大学院 経営学研究科 教授
企業および事業の長期収益を決める主因は何なのか。この問いに答えるべく重ねてきた基礎研究をベースとして、2013年度は引き続き集大成にあたる研究書の執筆に立ち向かわれています。
近著『リ・インベンション』東洋経済新報社、2013年。『戦略不全の論理』『経営戦略の因果』『戦略暴走』等
地球に氷河期と温暖期が繰り返し訪れるように、社会にも太平の時期と戦乱の時期が交互に訪れます。日本では、大雑把に捉えれば、19世紀前半は太平、19世紀後半は戦乱、20世紀初頭は太平、20世紀半ばは戦乱、20世紀後半は太平と言ってよいでしょう。いまの現役世代は直近の太平の時期しか知らないので、それが永遠に続くかのように錯覚している人が目に付きますが、どうやら21世紀は戦乱の時代を連れてきたようです。
人間の感覚とは恐ろしいもので、すぐに聞き慣れていまいますが、日産自動車の外資傘下入り、電機業界のリストラ、日本航空の会社更生法申請など、どれ一つをとっても20世紀の秩序では信じがたいニュースが世紀の変わり目から相次いでいます。改めて頭を冷やして考えてみると、どう見ても私たちは20世紀とは異なる世界に足を踏み入れてしまったようです。だとすると、20世紀の後半を特徴づけた「日本的経営」にしがみついていると、酷い目に遭いかねません。
私は、歴史的に見て20世紀の後半は極めて特殊な時期であり、そこで成果をあげた「日本的経営」に普遍的な正義はないと考えるに至りました(興味ある方は拙著『戦略不全の論理』を参照してください)。明治以来の地価、株価の上昇に基づく含み益があったからこそ、雇用の安定を謳うことが許された。それが「日本的経営」だったのでしょう。その証拠に、地価と株価が上がる一方ではなくなった瞬間、あの日本企業がリストラを連発し始めたのです。
かくなるうえは、雇用の流動化を避けて通ることはできません。また、流動化する従業員を相手に、いよいよ日本企業は「マネジメント」せざるをえない状況に追い込まれていきます。そこで我々の世代は「日本的経営」の解体、および再構築という重い課題を背負うことになるわけです。
私はアカデミアに身を置き、マネジメントのほうを担うつもりです。流動化のほうは、実業界に身を置く黒川さんがいるから安心しています。黒川さんは氷河をも溶かす暑い人で、ことバイタリティにかけては私のなかでチャンピオンです。きっと一仕事やり遂げてくれるものと信じています。
2013年6月25日
三品 和広